2005年 11月 15日
なにに成りたかったの???
自分が「なにに成りたい」と考えたことって、いつぐらいから覚えてますか??

かなり前になると思いますが、テレビのCMで子供が「お父さんは、なにに成りたかったの」と問い「お父さんはねぇ、絵描きになりたかったんだよぉ」と蛭子能収さん扮するお父さんが答えます。

このCMを思い出すたびに、すこしくすぐったい気持ちがするのです。そう私が一番なりたかったのは「絵描き」だったのかもしれません。

幼稚園くらいの時の将来の夢とかを書く欄には「野球選手」と書いてありましたが、自分の記憶の中では、本当にそうだったのかよく覚えていません。

写真に興味を持ち出したのは、小学校の低学年。カメラが欲しくてカメラ屋さんに自転車で通っていたのが小学6年生で、中学では先輩の一眼レフ・カメラを借りたりして写真を撮っていました。当時は、写真を撮れるというのは、ひとつのステータスでした。もちろんデジタルなどありません、フィルムです。巻き上げも当然手動でした。CANONがAE-1というカメラを発売したときに、「連写」なんて言葉が生まれたと思うのですが、その時代でした。オートフォーカスもない時代です、すべて手動で操作するカメラが主流の時代ですから、それを使える人が少なかったし、カメラも高価でしたから、だれでももっていなかったということもあって、写真を撮れる人は尊ばれる対象(大げさなっ)となっていたかもしれません。

その当時から、私は絵を描くことも好きで「イラスト」を描くことに熱中していました。写真はフィルムが必要で、当時は現像、焼付け(プリント)と非常にお金がかかり気軽に撮りまくるということが出来ず、なにかのイベント(文化祭、体育祭、遠足、修学旅行など)の時にしか使わないのが普通でした。なので、日常は絵を描くほうに夢中になっていました。

高校に入ると、写真も絵も疎遠になり、ギターを弾くことに夢中になっていました。小学生の時に通ったカメラ店の2軒ほどとなりにある楽器店に通う日々がはじまります。夏休みなど、来る日も来る日も店に朝から閉店ちかくまで、居座っていました。しかし、まったく音楽センスはなかったようで、楽譜も読めないようなヤツでしたので、上達したりすることもなく、そこそこギターが弾けるという程度でおわりました。

その高校生活で、また絵を描くことが戻ってきたのは高校3年生になってから、イラストレーターという雑誌だったと思うのですが、それを立ち読みしたりデザイン関係の雑誌を見て、エアーブラシという絵を描くための道具が存在していて、それを使って描かれた絵に非常に感銘して、自分もやりたくて仕方なかったのです。

高校の授業で芸術の時間(美術、音楽、書道などを選ぶ)という選択科目があったのですが、高校1年、2年は、書道を選び気楽にすごしていました。書が得意というより、写しが得意で、毎回手本を見て2枚ほど描けば、合格をもらえるので、楽チンでした。授業でつかう道具は、みな書道の教室で貸してくれるので、生徒は教科書と半紙を持っていくだけですが、その半紙すら持って行かない私です。誰かに、1枚か2枚もらえばそれで事足りるから・・・・そう、私は横着、面倒くさいとかそういう言葉が身の回りにあふれている、ぐうたらな高校生でした。

篆刻という、ハンコを作る授業の時も人が一本掘る間に、数本彫ってしまい、やることがなくなり、教師が待機している隣の準備室で、篆刻に使う彫刻刀を砥石で砥いで時間をつぶしていました。先生がたまに顔を出し、コーヒーを入れてくれたりして、優雅な時間でした。ただ、そのときの先生の評価は、「おまえはアーチストやないなあ、職人やなぁ」でした。確かにその通りで、独自性があるわけではなく、忠実に再現するというタイプだったわけです。

高3になって、なんだか決まりでもう「書道」を選択できなくなったので、「美術」を選択。すると、美術の準備室にはエアブラシのセットがひと揃え置いてあるじゃないですか、「これはもらった」とばかりに、先生に交渉してエアブラシで絵を描くことを認めてもらいました。またしても、準備室の住人となったわけです。

つづく・・・・かな???
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by hunau | 2005-11-15 12:11 | 写真


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