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2006年 08月 10日
源平 壇ノ浦
下関は、歴史上重要な場面の舞台となったエピソードがいっぱいっ。

武蔵、小次郎の巌流島。源平最後の合戦、壇ノ浦の合戦。明治維新へつながる長州藩などなど・・・。

今回は、源氏、平家の壇ノ浦の合戦でいってみましょうか・・・。
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赤窯神宮
源平の最後の合戦、壇ノ浦の合戦で、もはやこれまでと「今そ知る みもすそ川の 御なかれ 波の下にも みやこありとは」と辞世の句を残し、二位の尼前が安徳天皇(8歳)と三種の神器のうち二種とともに入水。
その「波の下の都」をうけ龍宮づくりとされた神社。
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みもすそ川公園では、壇之浦の合戦を紙芝居で聞かせてくれる。(無料)



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耳なし芳一をまつっています。
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平家の七盛塚。お墓ではないそうです。
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「見るべき程の事は見つ、今は自害せん」とイカリとともに波に消えた平知盛。
背景には、関門海峡大橋が。
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「八艘飛び」と形容される身の軽さだったといわれる源義経。義経の戦略は、武家流儀を無視し、当時では考えられなかった奇襲攻撃を展開。非兵力である、船頭や船のこぎ手を「射よ」と命じ、平家の舟の動きを封じた。卑怯者とみるか、切れ者と評するか・・・・
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歴史探訪のあとは、海峡地ビールで壇ノ浦の波に消えた平家の人々に思いをめぐらせ「乾杯」。

by hunau | 2006-08-10 00:25 | スナップ


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