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2005年 11月 30日
夢見る瞳、見る目のない節穴
ちょっと前・・・って、ある程度年取るとちょっと前っていつくらい前かよくわからない。

何年前の春だったかなあ、鈴鹿のFNの開幕戦の土曜日に仲間が集まった夕食の焼肉店に、モータースポーツ・フォトグラファを目指す若者が、未来のF1ドライバーを夢見る若者をつれてやってきた。もう、枯れつつあるおっさんの目には、若葉の緑がつやつやしているような2人は、ある意味まぶしくて、幼くて、頼りなかった。

御互いに夢を追う2人は、未来に向かってゆっくりとしか進まない時間にきっと苛立ちを覚えていただろう。逆に終焉に向かって全速力で突っ走っていく時間に焦りを感じているこっちとは、時間の流れの速さの感じかたが正反対だったろう・・・・今もだけど。

そして、F1ドライバーを夢見る若者は今年、とんでもない偉業を成し遂げ、その夢を実現するために私などには想像することも出来ないくらい大きなステップを踏み出した。

塚越広大(19歳) FD(フォーミュラ・ドリーム) 全9戦をポール・トゥ・フィニッシュで完全制覇。
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私は、見る側(撮る側??)だ。この偉業について、あまりに凄すぎてなんと表現していいのか、言葉を選べない。もしかしたら彼が凄いのではなく、周りのレベルが・・・・という失礼なことまで考えてしまう。そして、彼がこの力を自分から引き出すのに、いったいどんな努力や苦悩を持ったのか、または本当に天才と呼ばれるひとりとして、自然とこなしてきたのか・・・本当にまったく想像がつかない。

初めて会ったその日から、いつも「つかちゃん」と呼んでたような気がするけど、実はその後は本人にほとんど会っていななかったが、今年はサーキットでよく会うようになった。

焼肉を一緒に食っただけの、私の事など覚えていないかと思ったら、ちゃんと覚えていてくれた。そんな、つかちゃんは、きっと近い将来呼んでも声が届かない世界に昇っていくに違いない。あの日、あの焼肉店で見た若者の才能など微塵も感じ取ることが出来なかった私は、まったく見る目がない・・・・・。
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そのFDも今年で幕を閉じると聞いた。

思えば、サーキットに行き始めたころに、知り合いがファンだと言って追っかけていたFDの松浦孝亮に、まだ幼稚園児だった娘が「まっつん、まっつん」と言いながらシャツのすそを引っ張ってまとわりついていたのは、何年前だろう。まっつんに抱っこしてもらっていたなあ。そのまっつんもすでに世界の松浦だ。

もうひとりの夢見る若者も、確実に現場で自分の世界を作りつつある。

2人にとっては、2006年の開幕の頃が本当の始まりになるのかもしれない。
そして、輝く道が続いているに違いない。
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by hunau | 2005-11-30 23:48 | モータースポーツ
2005年 11月 28日
最終戦
 何とか無事に、今シーズンの撮影を乗り切ったFN最終戦。
そして、今シーズンを限りにフォーミュラーを卒業する服部選手。
なにはなくとも、最初の1枚として・・・
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by hunau | 2005-11-28 01:58 | モータースポーツ
2005年 11月 26日
FN最終戦
予選上位3名
 いつもと違う、新鮮な顔ぶれの予選上位3名。
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by hunau | 2005-11-26 20:31 | モータースポーツ
2005年 11月 25日
FN最終戦
本日、金曜日のフリーセッション、トップ3です。
夜勤明けで、早起きが出来なかったうえに、集中道路補修工事で大渋滞・・・・到着が予定より1時間近く遅れてしまい、午前のセッションは10分ほどしか撮れませんでした。午後は、予定通りスプーンにテクテク。空は青空、いい天気なのになぜだかFN走行時間中だけ、こんもりとした黒い雲が太陽の前を横切りつづけて、たまにしか太陽が顔を出さない・・・狙いがぁぁぁぁっ。
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シリーズ全勝をかけて、最終ラウンドに望む塚越選手。
EOS 5DにEF300mmF2.8で試してみたけど、ISO50にしてもF2.8だと1/1000秒。
網越しなので、絞らなかったから・・・
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5DのAFテストと、画質チェック??? クリックすると、大きな画像が見れます。
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by hunau | 2005-11-25 20:31 | モータースポーツ
2005年 11月 24日
寝ても寝ても・・・眠い
何時間寝ても眠い・・・「春眠暁を覚えず」とか言うけど、今はもう秋も終わりに近くて冬の始まり、この眠さは「冬眠」ということなのか・・・毎日何時間でも眠れる。現実逃避だという声もあるけれど・・・。
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EOS 5D EF50mm F1.4
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by hunau | 2005-11-24 04:34 | 日常
2005年 11月 22日
ル・マンで・・・・
日本から出ることなど一生無いと言う気持ちでいた私が、2002年にル・マンに出かけたのは、そうとう本人的には、無茶でして・・・・なんせ、英語だってまったく話せないのに、その英語が通じないフランスへひとりで向かうなんて有り得ない事です。

それでも、フランスに行ってみて感じたのは、日本と言う国はなんやかんや言ってもアメリカナイズされている国であり、英語と意識していなくても、単語や名詞、数字にしてもそうですが、普通に会話に使うことは日常に溶け込んでいるのだということ、そしてフランスではそれもまったく役に立たないということ・・・。

まず、数が数えられません。「駅」にしても「切符」にしても英語での単語なら知っていても、フランス語ではまったく違う発音の単語です。

最初に覚えて行った言葉は、「ボンジュール」「サバ」「メルシー」「スィルブプレ」くらいでしょうか。

そんな話は、さておき、言葉に不自由すると、本当に困るのが食べ物です。お店に入って注文ということが出来そうに無いので、見て買える物でなんとか我慢します。そして、一番手っ取り早いのがサンドイッチでした。これなら、指差して「スィルブプレ」、親指を立てて「アン」とか言えばなんとか買えます。

実は、これにはまってしまったんです。「うまいんです」。

いろんな種類がありますが、とにかく気に入ったのは、「ジャンボ・クリュ」とかいう生ハムが入っているやつで、そりゃもうパン自体もうまいので毎食食べてもなんとか飽きずに過ごせました。
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日本に帰ってきて、しばらくしたころ通勤途中にフランスに本店があるという「PAUL」というお店が出来ました。ここでも、フランスで食べたような味のサンドイッチが買えたので喜んでいたのですが、なぜか店を閉めてしまいました・・・・あまり流行らなかったのか??? その場所は、過去にも何度も店が入れ替わっている場所でして・・・・・そういう場所ってありますよね。いつの間にか店が変わっているっていうところ。その後、スポーツ用品のアウトレットに変わって、現在はauの携帯ショップになっています。

なので、食べたいけど、買えないので、作るわけです。今では、我が家のサンドイッチの定番のひとつになっています。

材料は
・バゲット
・トマト
・レタス
・チーズ(ブリーとかカマンベール)
・生ハム
・マヨネーズ
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by hunau | 2005-11-22 02:17 | 食い意地
2005年 11月 19日
物語はいつ始まった??
たくさんの映画やドラマを見て、喜怒哀楽を感じる。普通のことですが、普通ではない非現実的な世界を映画やドラマで見ることを楽しみます。

毎日同じ、毎日変化が無い。それも「物語」なのでしょう。

こつこつと地味ではあるけど、その人にとって大切なコトを、ひたむきに続けてきた歴史を紹介しているドキュメントなどを見ると、感動を覚えることはしょっちゅうです。

自分の周りでも、実はたくさんの物語が繰り広げられています。気がつかないだけで、そこにはいろんな人の真実や人生がある。そして、名セリフもたくさん生まれているに違いない。

あれは、高校生のときでした。自転車で友人宅に遊びに行っていた。高校生くらいになると、移動距離が本当に今考えても、なんでそんな遠くまで自転車で行っていたんだ、というようなところまで平気で行くことができるのです。いまなら、絶対に自転車では行かないような距離。

日も暮れて、とっくに帰らねばならない時間ですが、そのとき外は、かなりしっかりと雨が降っていた。まだ遊び足りないと言う気持ちもあったので、自宅に電話して母親に「雨降ってるから、もうすこし遊んでから帰る」と言うと、凄い勢いで・・・・

「何時や思てんのっ、雨??? 溶けへんっ、さっさと帰っておいで」

と、どやされました・・・「溶けへん」ってかぁ・・・確かにそやけど・・・・・
仕方なく雨の中、自転車をこぎこぎ、ずぶぬれで帰った私です。

あなたの、物語はいつ始まって、どんな場面をいま演じてますか???
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by hunau | 2005-11-19 01:02 | 日常
2005年 11月 18日
新・なにに成りたかったの???
高校時代の不真面目さを露呈しましたが、真面目な面もあるんですよ変なところで。

就職の面接で面接官が、資料を見ながら「これは、どういうことかなあ」と・・・あああっ、あの悪さで警察さんにお世話になったのがばれたか???ってな感じですが、面接官は「3年間、無遅刻無欠席ですね」と続けた。

そう、私は途中からさぼって消えたことは幾度かあっても、朝ちゃんと家を出て、学校には遅刻せずに登校するヤツだったのです。それも、実は、中学校でも無遅刻、無欠席、小学校でもほとんど休んだことが無いというガキだったのです。単に健康だっただけ???

「なぜ??」と問われても、答えがありませんが、別に学校が大好きだったとか、そういうことはまったくなく、ただ学校に行っていただけでして、いまさら何でかなんて思い出すことも出来ません。

まあ、そんな面接中に「転勤がある職場なので、入社したら転勤してもうことになりますが、大丈夫ですか」と言われて、「嫌です」と答えたのになぜ合格したのか、なぞは深まるばかり。その会社に今も居続けて、来年の春には勤続25周年ってことになるそうです・・・あきれたモンです。

まあ、それはそれとして、入社してから5か月にもうすぐなるという、8月の22日に、上司に呼ばれて、「9月1日付で金沢へ」と告げられました。??????なにっ?????

22日に辞令で1日付、打診も内示もなしで突然??? まったく、これが当時この会社のスタンダードな異動なのでした・・・後々、さすがにこれは、あまりに非人道的な人事ということで、転勤を伴う異動については、1か月以上前に辞令を出すというように改められました。

まあ、それはそれでいいとして、私の生まれてはじめての一人暮らしが始まるわけですが、若いときにこういうのは経験していると、やっぱり良いものなのかもしれません。

それも、今だからわかった風に言えますが、当時はまったく知らない土地に知り合いもなく、ひとりという状態で、その心細さは、なかなか表現できる言葉がみつかまりせん。しかも、金沢と言う町は、いまでこそそんな馬鹿なって感じですが、夜7時、8時になると中心地ですらほとんどが店を閉めてしまって、飲み屋くらいしか開いていない、寂しい町でした。

仕事もまだ半人前以下の状態でしたから、そりゃなんともまあ「とほほ」な状態でした。

9月に赴任して、気がつくともうすぐに冬でした・・・・金沢の冬は雪に閉ざされて・・・というわけではなく、雪がふるような、ふらないような。ふって積もるのもあっという間ですが、比較的すぐとけてしまいます。だから、ひと冬ずっといつでも雪があるという土地ではないのです。豪雪と呼ばれる、雪の当たり年は別ですが。

その冬、住処から、歩いて1分というくらいのところに、おしゃれなレストランがオープンしました。あまりにおしゃれな感じなので、前は良く通るけど、ひとりで入ることはなかなかちゅうちょしてしまって、オープンしてからかなりの月日がたってから、意を決して入ってみました。マスターは東京で修行していた人で、やっと自分の店をオープンしたと言うことで、料理はそりゃあ美味しいのです。

その日は確か土曜日だったと記憶しています。そのレストランで夕食をすませてから、ひとり映画を見に行きました。地方都市の県庁所在地の中心部に住むとなんでも便利です。歩いていけるところに娯楽施設や映画館は数軒固まってあるので、ふらふらとオールナイトで映画をはしごしたりできます。私の会社には、映画の無料招待券が届けられるのですが、だれも使わないので、その日は私がその束を握り締めておりました。

映画館で、声をかけてくる男が・・・知り合いなどいないはずの私に・・・見ると、夕食を食べたレストランでバイトをしていた大学生でした。意気投合して、その夜は私の持っていた招待券の束をつかって映画館のはしごをすることに。当時の地方の映画館は、首都圏では当然、1本だけで上映されている映画が、なぜだか2本組で上映されていました。たとえば、「キヤノン・ボール」と「エンドレス・ラブ」とかです。もちろん、B級の映画がひっついていることも多々ありますよ。

それをきっかけに、私はそのレストランに毎日通い、食事をすることになり、住処から近かったこともあり、私のダイニングキッチンとなったわけです。あまりに通うので、メニューの数も当選限られてしまい、いつも同じということになります。マスターが「栄養が偏るから」とある日から、お任せでセットを作ってくれるようになり、私はいつものカウンター席にすわって待っていれば、なにも言わずともその日の食事がでてくるようになりました。

この店をきっかけに、私の金沢での友人たちが増殖していくことになります。

つづく・・・・と思う。

P.S ああっ、そうそう、なんで就職したかというと、遊びたかったからです。「成績からして大学に行けと」言い続けた高校の担任には悪いのですが、自分で稼いで気ままに遊ぶ、大学でバイトしながら遊ぶというのでは、ちょっとイメージがちがったのですね。そして、試験を受けた会社の選択基準は「英語の試験が無かったから」です。英語なんか、全然ダメ。私の人生に英語が必要な時など一生来ないと固く信じていた・・・・なのになあ。
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by hunau | 2005-11-18 18:29 | 写真
2005年 11月 17日
聞き間違え、覚え違い???
思い込みっていうか、覚え違いっていうか、聞き間違えっていのうかそう言うことって良くあることですねって話・・・どこでも話題になってしまうことなのですが、昨日ぼ~っとニュースを聞いていたら、メジャー移籍を目指して挑戦するプロ野球選手の話が流れていました。シアトルだとか、マリナーズだとかそんな単語が飛び交っていました。松井選手の契約更新のニュースも流れていたと思います。

そこで、日本人としてメジャーにという話題なのに、なぜか聞こえてくる選手名が、外国の方の名前なんです・・・・なんで????

その名前は「ジョージ・マッケンジー」。どう聞いても、日本人の名前じゃない。

やっぱり、あんたは「お間抜けだ」と、もう既に気が付いている方も多々おられますよね・・・

しかし、アナウンサーの発音が悪いのか、私の耳が悪いのか、そう聞こえたんですもん。
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by hunau | 2005-11-17 19:53 | 日常
2005年 11月 16日
続・なにに成りたかったの???
美術の準備室にエアブラシのセットを見つけた私は、「本物そっくりの何かを作る」という美術の最初の授業のテーマに向けて、先生にエアブラシを使って作品に取り組ませて欲しいと交渉、OKをもらった。

このエアブラシのセットは、なんと新品であった。導入したものの「さてどうしたものか」という状態だったようで、私の「使いたい」という声は、ある意味「渡りに船」。先生としても、助かったようです。

エアブラシがなんだかわからないという方もおられるかもしれない。どう説明したらいいのだろう、要するにスプレーで絵を描くわけなのだけど、そのためにはコンプレッサーという空気を圧縮して送り出す機械が必要。それに、ホースがつながっていて、その先には絵の具を入れることができる筆の役割をする金属の部品がつく、絵の具を入れるくぼみがあり、大きなものだとタンクがついている。ボタンがあり、ノズル部分がある。ボタンを押し込むとシュッと空気が噴出し、そのボタンを後ろに傾けるようにすると、絵の具が空気にまざって霧状に飛び出す。

紙に絵を描くだけではなく、使用する塗料やエアブラシの種類を変えて、プラモデルやフィギュアを作成している人たちが塗装に使ったり、ヘルメットや大きなモノだと車のカラーリングなどにも使われています。
エアブラシについて
今調べてみると、エアが入ったボンベに直接エアブラシを取り付けて使えるようにもなっているみたい。コンプレッサーを買う必要がないわけだけど、描き掛けで、ボンベがカラになったら、イライラするだろうなあ。

ある意味で霧吹きみたいなもんだけど、いまの世の中、もしかしたらアイロンを使う時に水を吹く霧吹きというものも、身近にないモノのひとつになっているのかもしれない。アイロンに水入れちゃうもんね。

缶に塗料が入ったスプレーと違うのは、ボタンの操作で噴出す空気の量や、絵の具の量をコントロールできる幅が広いこと、これによって微妙な表現ができるということになる。

「本物そっくりの何かを作る」というテーマに沿って私が選んだのは、レコード。
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「冨田勲 惑星」のジャケットを描き、それに販促用の帯も作ってをつけて、ビニールの袋に入れて完成。しかし、現代は「レコード」というのも身近にない物になってしまってますね。いまだに真空管のアンプでレコードを聴く、私の日常の音楽鑑賞も当然一般的ではないようです(話がずれて行ってる???)。

その後も、美術の時間にエアブラシを使って、いくつか絵を描いたが、2学期の終わりくらいから美術の時間に教室にいないという、なんとも不真面目な行動に走る。美術の授業は3時間目、4時間目の2時間通しで、昼休みを挟んで5時間目は体育。5時間目が始まるまでには、もどってくる。

授業が始まる前の休み時間のうちに美術室に行き先生と顔をあわせておき、「いるからね」とアピール。準備室にいるはず・・・と先生はおもっているから友人と二人学校から消える。その友人は早々と自動車の免許を取り、どこから仕入れてきたのかしらないが、中古のハコスカGT-Xを乗り回していた。そのハコスカに乗って、どこかに行くのだけど、特にどこへ行ったというような記憶が今は定かでないのは、たいしたところに行ったわけではないということ、昼飯をどこかで食って戻ってきていただけだと思う。まあ、それだけでも、なんだかワクワクしていたのだろう。

一度、さぼって正門から出るときに(さぼるのに堂々と正門から出て行くのもなんだかなあ)、他の先生に見つかった。言い訳は「美術の授業で使う材料をわすれたので買いにくい」だった。その先生は、「○○先生に確かめるぞ」と言うので、ええいっ、好きにしてくれっ!、てなもんで「どうぞ」と答えて学校を後にした。その日の夕方、美術の先生と廊下で会ったときに「ばれんように出ていかんかい」と指導を受けた・・・・。

それでも、私の美術の成績は、1学期、2学期は5段階評価の「5」だった、最終評価は「4」であった。卒業後に学校に遊びに行った際に、廊下で美術の先生とばったり会った。世間話をしていたら「抜けださへんかったら、5やったのになあ」と・・・・しゃあないですわなあ、これは。

そして、私は仕事の関係で、石川県金沢市に住むことになったのですが、住処の近くに画材屋さんがあったこともあり、社会人になったので、お金も使えるようになり自前のコンプレッサーを購入、雪に閉ざされた季節は、絵を描いていたわけですが・・・・・

つづく・・・かな??
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by hunau | 2005-11-16 18:11 | 写真